恐怖の花は、愛の花も咲かせます。
『理論』とは調子がいいなとつくづく思います。
理論は哲学にもなりうるし 哲学に反対するものにもなりうるものですから。
理論で喝破する、そんなエネルギーの使い方をせずに、周りの同意を得ずともしたい様にすることができたら人は不自由なく楽だと思うのです。
自分の中心に真っ直ぐで直向きに一所懸命に生きる、それだけで幸せと感じられる、そんなシンプルな潔さを皆が持てたら。
なのに、私達は何に制限をかけているのでしょう。
すべは女性性の大らかなハートで包み込む愛があれば問題はないのですが、恐怖から問題は生み出されるもの、恐怖に支配される前に人はどうしても迎え撃ちたい衝動に駆られますが、迎撃しては愛を知る感謝のココロや深さを知るどころか傲慢になりかねません。
とことん自分の気持ちの向くままでいられること、また、そんな自分を知る事は、身体の細胞が沸き立つような歓びという本質にどんどん近づいていくもので、いつも心がジーンと細かい振動を感じられ暖かい気持ちを味わうことが出来ます。
怖がらず、怖がる気持ちに虚勢を張り理論で喝破するのでもなく、対策を講じたくなる気持ちなどを、淡々と感じ見つめられる様になれれば、全ての問題は貴方の「思考・精神・ココロ」が嵐を起こしているだけで、「内側」の更に内側「真の内側」ではジーンと細かい振動を絶えず放ち、決して、外側が入り込めない領域があると知ることができる様になります。