被害者も加害者もないのです。

gf01a201306121500「メールの書き方」を題材にした雑誌がありました、相手方に失礼がないようにマナーは心がけたいと思う一方で、実際のココロ模様はフジコラムで申し上げている通り、一人ひとりのココロ模様で物事を見ているため、感情フィルターを通すと人それぞれの感想を持ち、みな同じ気持ちではないことがわかります。

『テクニック』は関係を円滑にしますが、そうすることにより、相手様との響き合いから『私』や『相手様』を知っていく過程の醍醐味がなくなりそうな気もいたします。

人間関係が思い通りにならないのは世の常。 辛い苦しいからと、これから起こることや起こった経験を何かのせいにしたくもなりますが、現実創造は本音から遠ざかれば運気も遠ざかる様にどうも出来ているようです。

時に人間関係の難しさも、その中で応援してくれる人達がいる幸せと感謝にフォーカスできバランスよく自らの気づきの連続を観ていくことがスピリチャル・ライフの本質で、そういうことにサイキック能力の有無は全く関係ないのが実情です。

いろいろな事に思い巡らし、起きた出来事に意味づけするか、しないかは、起きた事の火種が、貴方の感情という導火線に火を点けるか、点けないかだけであり、点けば爆発、点かなければ何事も無い、起きた現実がただある、それだけの事です。

火種が導火線に火を点けるのは、貴方の思考・精神・ココロ模様であり、それは自身の蓄積された固定観念が自他を分ける(差別)ために起こる「着火」です。

教育を受けてから白黒分ける思考を無意識に行っている人類ですので「悪者にはなりたくない」と思うのは分かりますが、しかし、貴方がいなければそれは起きなかったことも事実で、それでも文句を言いたければ気が済むまで言ってみるのもいいと思います。
しかし、そのうちハッとする時がきます。

怒りや不満に任せた悪口や悪態は、自分の思考を総動員させた貴方の陰質な部分です・・・。
陰の大義名分は『被害者』だからと正当性を主張しますが、自らを被害者扱いした時から、外に加害者を作り、また加害者も一方からみれば『被害者』になりうるのです。

私達はそういう地球ルールのもとに共存しています。

どうでしょう? 白黒をつければ争いが争いを生み、被害者も加害者もないことが腑に落ちれば、多角的に物事を意識できることに気づきませんか。

 

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