無自覚に基準を決めている思考に気づく

lgf01a201410120300フジコラムでも、よく「思考を抜いて下さい。」と申し上げていますが、思考についてお話ししておこうと思います。

誤解をなさっていらっしゃる方もおいでの様です、「思考」を悪者にしていないでしょうか?

思考もエゴも標準的に等しく人間に備わったものですので、これらをスピリチャルにスッパリ抜くことは出来ません。

仏陀すら、その思考・自我を無くすために修行をしていたのですが、最後には諦めました。(※諦めの境地に悟りがあったのですが・・・。)

「思考を抜いて下さい」という意味を分かりやすくいうと、「ジャッジをしないで」といえばいいでしょうか?
パスカルも「人間は考える葦である」と言った言葉通り、考える=成熟している。考える=大人である。と思っていらっしゃる方がほとんどだと思います。

思考することが人間らしいことなのですが、その思考は、何を基(基準)に考えたものかには思いが至らないようです。

『何を基に』これが大事なことなのかもしれません。

例えば、残業続きで疲れて帰宅し、ヘトヘトになって就寝したのにも関わらず、翌朝、いつもより早く目が覚めてしまったら、あなたはベッドでどう思うでしょうか?

「えっ、5時・・・ぐっすり寝たかったのにぃ~」
「えっ、5時・・・ラッキー!二度寝しよ~」
「えっ、5時・・・どうして?なんで?こんなに早く目覚めたんだろう・・・」
「えっ、5時・・・仕事が気掛りで眠りが浅かったんだぁ~」
「えっ、5時・・・休みたい、休日だったら良かったのにぃ~」

誰もが1度は浮かんだ考えだと思います。

つまり、私達は目覚めてすぐ過去を探し、過去を基準に感情を被せて「自分の立場」や「自分の習慣」から、自分であること、自分らしさという答えを「決めてしまっている」のです。

目覚まし時計に急かされることなく目覚めたのなら、それは不自然なことではありません。

むしろ自然な目覚めで、残念に思うことではないのに、皆が皆、過去・現在・未来といった直線的な時間軸に自分をセットして、直線上をスライドするように時を刻んでいると、当たり前のように勘違いなさっていらっしゃいます。

今・今・今、今という時は「→」矢印の様に一方方向へ直線的に伸びていくものではありません。

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むしろ、四方八方へ好きなように時が広がり、「何かを基に」やりたいことを見つかったら、あなたの生命力の強さが勢いよく噴射され、そのまばゆいばかりに輝く生命力に周りにある光子が手を貸すように集まり始め横広がりの平行軸が生まれる。

それが十字架の原型であり、クロスした点が、時空点(今)=ZERO空間を創造し、あなただけの今という点(今)・点(今)・点(今)を残し、星空のようにあなたを中心に360度無限に放射されているのです。

ですから、過去にあったこと、去年あったこと、昨日あったことの「思い出=経験」は、想いが遂げられた点であり、残像や残留思念の点であり、その時=点と今という時という点とは、直線的な地続きではなく、全く、丸っと、何の関わりも無い異次元の話なのです。

このトリックに気づかなければ、思考クセ=思考体が、いかに自分の感覚=感情体も支配しているかに気づくことはないと申し上げているワケです。

スピリチャルでは感覚に従って下さいと大雑把にいう風潮があります。それは、そうなのですが、その前に「何が基になった感覚なのか」という踏み込んだ目線も大事です。

「今・ここだけ」で生きる習慣性があれば、いつもより早く目覚めた自分に対して、損得勘定や被害者意識の言動で今をすぐ反省や後悔することが減り、現実も変化していくことが実感できるようになります。

もし「ラッキー」「~だったら」にフォーカスしてしまうクセがおありであれば損得勘定の得を見る習慣性があるかもしれませんし
もし「どうしてだろう?」「なにかがあるのでは?」にフォーカスしてしまうクセがおありであれば心配・不安に思う習慣性があるのかもしれません

日常的に無自覚でこの目線で過ごすことが「習慣」であり、その人の性質になります。(※自分の性質すらもあなたのものでは本来ないのですが・・・。)

思考の飼い主はあくまでも自分自身です。思考クセに気づく目線をお持ちになって下さい。

【マザー・テレサの言葉】

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

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