ただ在ることがリアル。

敬愛するメッセンジャーの言葉です。

 


海に浮かんでいるかのように見える島々は
実は水面下に拡がる山々の登頂で、
私たちが目にするそれは氷山の一角にしか過ぎないように、
普段私たちが目にする景色は目にすることができない力のほんの1部分にしかすぎません。

つまり目に見えない力がリアルで目に見える部分はイリュージョンです。


 

343799体調を崩し、医学的な対処療法ではにっちもさっちも前に進まず、意識世界へのアプローチ=スピリチャルに答えを見つけようとしていた昔の話

 

「何が本当なのか・・・これまで生きてきて、その現実に満足したことなどなく、常に物足りなさを感じます。
何が駄目で、何が良いのかさえ、今の自分に判断する自信が持てないのです。

全てが嘘に思え、何か違った本当があるのではないだろうか・・・という幻想的な考えに縋って(すがって)しまいそうになるのは、単に私が弱く、現実から逃避したいだけで、現実と自分の心が乖離(かいり)しているだけなのかもと知れないと、怖くなる時があります。

・・・何が本当なのか生きていて分からなくなってしまいました。生きなければならないのに・・・。」

 

完全に私の「エゴ」がお手上げになった当時、ある先生にこんな質問を投げかけたことがあります。

すると、その先生は「意識にこそ本当があります。」とおっしゃいました。

その数年後、その言葉を別の師からも聞くことになります。

思考がギルアップしている素の自分に、更に「生きなければならない」と鞭打っていたのは自分のエゴであることに気づきもせず、そうまでなっても尚、諦めることは負けること、人としてこんなことでどうするんだ、と限界を見ようとします。

誰も何も、応えてはくれないと分かっていながら、自分の声に一番聞く耳を持っていなかったのは自分自身でした。 しかし、私が私(思考)を手放したかった陰で、そうさせてくれていたのは、私の魂が物言わずジッと私を諦めず観ていたからでした。

そして、今。 私にその言葉をまた運んできてくれたメッセージを含めると3度目。

私にとって、今この言葉こそ「リアル」だと、深く、深く、深く落とし込む必要がある言葉、勇気の湧く言葉なのだと感じます。

 

雑多な情報が渦巻く現実の 何を観て、何を感じるかは私達に与えられた自由です。

「どんなことでも楽しめる。」

私達が現実と呼んでいる世界は

人の可視光線領域の色の視覚世界
香りを嗅ぎ分ける嗅覚世界
味を確かめる味覚世界
音を聞き分ける聴覚世界
さわり心地がわかる触覚世界

これが私達の現実を構成している要素の全てならば

目を閉じて
耳を塞いで
息を止めて
口も閉じて
何も触らず

たとえば浮力に任せ、あなたを水中に漂わせるように

あって当たり前の五感をすべて封印して観て下さい。

そこに何が在りますか?

「私」という意識が在るだけです。

それこそがリアル。

あなたが握り締めて離そうとしない

自己価値や 意味づけや それに基づく言い訳や 小賢しい方法論は

仮想現実を一瞬楽しくするだけのエンターテイメント的「イリュージョン」であり

「リアル」ではありません。

 

 

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