9月 これまでのまとめ
世間が騒がしくなっていくと同時に、自然も騒がしくなっています。
目に見えない世界が目に見える世界を創る。
今日は、このことの意味を考えてみて貰えたらと思います。
「安保反対」怒涛のシュプレヒコールが国会前で繰り広げられる中、強行採決、そして、可決成立。 この国の民主主義はどうなっているんだ!と大衆はざわめき立っていますが
個人の歴史認識では、この国が民主主義であったことは名ばかりであり、戦後から今日まで、その主義とやらに自由があったことは一度もなく、全て幻です。と、言うしかありません。
日本が美しく強い国であり、国境を守る。そういうボーダーなども幻想で、日本を守れば安心なのではありません。
すべての問題は、宗教が関わり、中東が発信源となっています。
世界は血脈、血統、門閥を守ることで人類は繋がっていることを理解できなければ、なぜこんな乱暴な意見の食い違いが起こるのか、本当の意味で理解できない側面も深くあるのです。
そして、これらの事を裏で操作している者達は遥かに私達よりもスマートだったのです。(・・・これまでは。)
なぜ、人間の身体・意識・心・感情等を幼いうちから教えられず、良い悪い、戒めの宗教や道徳を教えたのか、フジコラムをご覧の方々には理解して頂きたいポイントです。
秘密にしておきたかったのです、知ってもらっては困るからです、誰が? 豊かさを独り占めして、それを知らない大衆を恐怖で縛っておきたい支配者側が。 どうして困るのか? その「不都合な真実」を本当は平等に共有できる地球環境のシンプルな働きを怖がっているからです。
そして今回、そのシンプルな働きに利用され実は私達が負のスパイラルを創らされています。 それは「怒」という感情を空中に放出するこで支配者側の動きにまんまと加担しているのです。
人工地震が頻発する現代ではない、太古、自然地震とは人の怒りが滞積した場所で起こるものでした。
それが自然の理であることを知っていた神官は、地鎮の祭事などを執り行い、人々の意識を変容させていたのです。
その神官とは古代ユダヤ人(現在のユダヤ人とは異なります)と古代日本人=日本人はその末裔です
(※西(現在の中東)から日本に帰還した渡来系には宗教的2つの系統があり、不調和を起こしているのはこの2派です。ですから、目に見えるボーダーで敵を作っても意味はないといえるワケです。)
その自然の理を反映するかのように、昨夜、関東の一部地域では、チリ地震からの津波による避難指示と、かなり大きな雷に見舞われたとのこと。
隠しておきたい支配者側の「不都合な真実」とは、地球に存在する生命は特性の違いこそあれ、五元素のもとに平等だということです。
例えば雷、大気に広がる空気は電気を通さない絶縁体ですが、雲と地上の間に数億ボルトという高い電位差が生じた場合、空気中の分子がイオン化され電気を通すようになります。
電気の通りやすい場所を求めて雷は移動するのですが、五元素の「水」は、人の感情を表し、人も五元素から構成され、70%の水分を含んだ光体です、その光の粒子を身体にまでくっつけているのが電気=生命力です。
そのスパークは人の感情=外的刺激によって左右されるもので、その電圧変動を起こし外気に放電されれば、自然を目覚めさせることは、当然のことだと思わないでしょうか?
例えば、人工地震を起こし、ある程度の規模を予測できたとしましょう、しかし、その被害を小難、或いは無難にするのは、人の意識と、人と自然との関わりがそこにあるからです。
我慢しろ、諦めろ、仕方ない、しょうがない、どうでもいい。
これらの言葉に人は「負け」をイメージします。 が、YES or NO が、これからは明確に二極化していきますとお話しし、その感覚を一人ひとり見直して下さいと申し上げたのは、つまりは、こういうなる時事が予め読めたからです。(※そのことから、ZERO・スピリチャルセミナーを今年初めに致しました。
その一喜一憂を、スマートに事を済ませたい者達は虎視眈々と今も誘導しています。
結果というものを人は時に残酷に感じるかもしれませんが、これも認識を変えて下さいと以前も申し上げました。
結果はありません。
あくまでも、その時を掴まえた「時点」のことであり、時間という現世のトリック=直線時間軸で捉えるものではないと申し上げました。
1億通りもある未来は、常にそこかしこにあり、その時を選ぶ意識を私達一人ひとりが持つことで次元を変えられます。
全ては〇=円=調和が始まりであり、〇の中で集約しようと不調和のバランスを取ろうとしていました(=不調和を楽しんでいました)、そのなかで〇のスパイラル生み出す神聖幾何学化が現実を生み出し、〇も変形し合いながら、変色し合いながら、宇宙のカルマ、地球のカルマ、人のカルマを、その移り変わりに反映させながら、古い時を飲み込むようにして、新たな時を生み出すといった、映像のストーリーとなって、空間にそのウツシロを瞬時に解き放っており、さながら映写機のように感じるものです。
そして、映写機から映し出される、ウツシロが私達の脳に刺激を与え、心や意識の在り様で、ある部分色が個人の現世にウツシロとなって表れるものなのです。(※自己の感覚なので説明が分かりにくいかもしれません)
これは一人の世界では分かりにくく、他人が関わり、更に何人もの人々と関わり、干渉しあいながら、共鳴し合いながら現世を創り上げていく、そういった構造が地球環境です。
ですから、関わる以上、観念をクリアにしなければ人の動向に簡単に引っ張られる事態になります。 そのことを神事民の末裔である日本人はDNAレベルで知っています。
けれど、DNAの囁きはとても微細で、文化・文明で直感も無かったことにする習慣を身に付けてしまった私達は、耳を傾けるどころか、感覚を退化させてしまったのです。
暗在形(意識)・明在形(現実)この2つが現実を創ると知っていたのは日本です。
ですから二本=日本なのです。
しかし、明在形だけの裁きに走ってしまった人間は、自己を信じる力を無くし、同時に、自分を愛する力まで失ってしまったのです。
誰かがこう言ったから、あの人はあぁ言ったから、という 誰かありき依存は止めましょう。
誰かが攻撃したから、あの人が先にやったから、という 依存もきっぱり捨てましょう。
その依存は、やがて「怒」から支配欲に変わり、あなたの純真さを消してしまいます。
自ら消した愛は、人から助けられることでは解消できません、勘違いされている方が沢山おられますが、誰かに依存し、失う不安から支配者に変貌するケースに幾度となく遭遇しておりますが、依存の芽は、やがて厄介な人へ変貌させる「木」になることを知っておいて頂ければと思います。
「反対」運動ではなく、静かに平和運動をしませんか。
(※言葉遊びなどではありません。日本の五十音「あいうえお」は宇宙の響き、太古からある言霊の旋律です。)
強行するものに反対する、その姿勢は「怒」を生み、犠牲を払います。
(※犠牲という漢字は「牛」と書きますが、これも宗教からきており、神の奴隷であった人間は、その低い身分により生贄にもなれないことを恥、丹精込めて育てた綺麗な牛を神に供物として捧げたという形式から「犠牲」が出来ました。また、供物という物の存在も牛を指し、牛は物質世界の象徴となっています。)
「怒」は破壊のエネルギー、収束させるには犠牲というエネルギーが加わります、天災もそのひとつ。
歴史年表を思い出してみてください、年表はどれも恐怖と怒りの事件を記した人類進化の記と言い換えられないでしょうか。
恐怖と怒りで統制を計ってきたこれまでは「静」によって均衡が破られます。ですから、刺激に翻弄されないで下さい。
冷静に判断して、私達が平和を願う一方で戦争を起こしたい者達がいるのは確かで、それも有史以来、戦争の無かった時代はありません。
そのことに、今、思い出したように、また、今、命の危険を考えて、と言い出したのであれば、何を基にした想いなのか、少し冷静に感じて観て下さい。
「怒」で煽られているとすれば、「不安」の誘導によって煽られています。
出来事と出来事の余白は進化の時を刻んでいます、出来事は私達の心の神化を問われる時です。
落ち着いて、平和を選択し、その時を刻むとありありと意識して下さい。
穏やかに、今自分の目の前にあること、デモに参加されているのであれば、デモと大きな渦の中でも、人と触れ合うと優しさを感じます、その優しさに触れた歓びを放射して下さい。
そして、反戦運動は盛り上がるかもしれませんが、平和運動なら誰もがイメージしやすく、一人ひとりが思うことです、そういう方向へ流れたら、また違う時を刻みだすような気がします。
連休はコラムをお休み致します。