愛を選ぶ 常識を疑う 【リライト】
※リライト致しました。(3/14)
今回は色恋にまつわる「愛」と、愛についての「意識と観念」についてお話ししようと思います。
他人様のことなのにお祭り騒ぎのように浮かれた話題になるのは今も昔も「色恋沙汰」。
このところ色恋沙汰で騒がしいのは不倫の話題のようですが・・・
napierの、トークヒーリング をお受けになられるゲスト様のお話しで最近、どんな悩みも「常識」と「自己」との揺れ幅に感情的になり、普通や標準から外れることのなかった葛藤をコントロール出来ず、理性を保てないというお悩みが多い傾向にあります。
葛藤は欲や情がミックスされ、やがて人格や観念、精神までも形成していきますが、そうした自分と向き合うことができるのが恋。
恋は誰でも必ず経験する通過点、世間が騒いでいる不倫も恋愛なら、個人の成長過程で必要な経験となるはずですが、そう簡単にいかないのは、暮らしや法律の契約ありきの社会構造の制約と、それに伴う個人の問題意識が人の数だけあり、前例に準えることが難しいということかもしれません。
今回に限らず不倫報道でなされるメディアの在り方については、中世の魔女狩りが現代に復活しているような異様さを感じるのは私だけでしょうか。
人の生活・プライバシーを覗く、家政婦は見た系ワイドショーは、社会ルール=「常識」で裁く正さは、視聴者を常識を刷り込み、普通を安心に感じる飴ように、ワイドショーの見せしめは鞭のように、視聴者には正しさが身に付き、常識人である快感を毎日、繰り返し、植え付けていくワケです。
その時、ご自分の心理が無意識にメディアにコントロールされていることを、皆さんは知っておいででしょうか?
我がことのように話題に取り込まれるエネルギー、実は変わりたいけれど変われない、自己承認欲がウツウツ・モヤモヤした感じになり、人のことが気になりなんでも比較するようになって
争いの火種はひとり一人の心の中で生まれています。
Oshoが「結婚と子供~Marriage and Children」の質問に対して、こんなことを言っています。
「Osho、 結婚しそうになったことはありますか?」
いいや、一度もない。
最初から私は結婚に反対だった。というのもそれは、あなたの自由を損なうということだ。
ある男やある女に、法的に帰属させられる。
だめだ。
私にとって自由には、究極の価値がある。
自由よりも大切なものはない。
不倫を含め、恋愛に至るまでの経過を伺うと、「なんとなくそうなった」「気がついたら」「なぜか・・・」とおっしゃいます。
・・・なんとなくそうなった。は、お互いの隙間に入り込んだ、または、隙間を埋めた、といった感じだと思います。
お互いのエネルギーの凸凹を互いに補いあい、その塩梅が調度良かったということのようですが、そういう補い合う恋は磁石のように引き合い自然に寄り添い合うようです。
しかし、ひとたび恋愛に発展すると、補い合うカタチに個人の「欲」「情」を盛り込むようになり、時にお互いの自由を奪い合うものになるようです。
恋愛における「欲」というのは、恋人にこうして貰いたい。という欲求でありリクエストです。
恋愛における「情」というのは、恋人だから大事にしたい。という情愛であり所有です。
この世は、何かを問題視した拍子に、ポジとネガ、陰と陽、明と暗が二極に分離する性質をもっており、そして
「欲」は自分に無いものを優先するカルマを浮き彫りにし
「情」は自分に有るものを優先するカルマを浮き彫りにします。
この二つの感情の前には「理解と配慮」という大きな河が横たわっており、欲情を「理解と配慮」という舟とオールで向こう岸まで運ぶ手間をかけることで感情トラブルが減るようになっています。
例えば
恋人の誕生日に花束をプレゼントする彼がいたとします。
彼の生まれた家庭環境では彼の父が母の誕生日に花束のプレゼントをして喜ばれているのを観て育っています。
それが彼の習慣であり常識です。
一方、彼女の家庭環境は気に入ったものを贈るのが一番だと考えており、現金か欲しい物をプレゼントする習慣を観て育ち、花束は公の慣例となる贈呈のようなものと思っているとしましょう。
つまり、それが彼女の習慣であり常識です。
彼と彼女の家庭環境と価値観は違いますので、互いにプレゼントと喜びがイコールにならないのは、自分と相手との間で戸惑う価値観の違いをどう受け止めたら良いか分からないそのモヤモヤが、いざこざの火種になってしまう時もあります。
互いの「こうして貰いたい」と「そうしてあげたい」は、それぞれの価値観と自由のズレが普段から生じていくわけです。
プレゼントを気に入ってもらえるかどうか。
気遅れしてしまうのは、そのウエイトが大きく占めるからのようですが、ご覧の皆様方からは「気に入る」よりも「それだけでも微笑ましい。」という声も聞こえてきそうですが、その視点こそ「理解と配慮」です。
個人で考えると小さく限定した形=欲が、いざこざの火種になりがちですが、個人的には種を拾って、のちに花を咲かせる方法もアリだとも思いますが・・・それはそれとして
まず、こうしたい気持ちに、行動を起こさなければ、現実の流れは生まれず、これからの時をカタチ=出来事にも出来ません。
カタチ=現実を楽しめるように、こうしたい=アイディアという創造性を養うには、警戒心を解くことが鍵となります。
ワイドショーなどに観る、「街の声」などという基準を一方的に電波で流し、それに賛同するご自分の正義が、当事者の創造性をどれほど罪にして罰しているか?考えてみて下さい。
また、エネルギー的にみるとき、電波の正義に賛同して、あなたの中で正義と悪を生み出した瞬間、愛と憎しみも同時に生まれています。
愛は憎しみを知って生まれる感情かもしれませんが、憎しみを握りしめ張り詰めた心で愛は語れず、憎しみを知り、のちに理解した時に愛が生まれるのだと感じます。
それが愛からくる「理解と配慮」だと思うのです。
疑い、憎しみ、怒り、恐れの大半は「普通」や「常識」「標準」という個別認識の比較=マヤカシから生まれます。
この普通や常識には個人差があることを手前勝手に解釈したままでは、普段の人間関係でもトラブル続きになるものです。
理解と配慮の基本には「分かり合えないもの同士」のためのコミュニケーションが、一般的・常識的・標準・普通という荒唐無稽で曖昧な価値観でボカされ
ボカされた価値観にキョトンとすれば、空気Kを読めないY=KYと囁かれ、読めなければ残念ちゃん、残念君と言われる、言葉を省略したがゆえの妙な見かけだけの時代になっています。
しかし、バラエティーやドラマに洗脳され「新常識はコレ!」と言われれば、それについていくことに躍起になる、一億総白痴化の怖さを御存じない。
映画「マトリックス」でいう仮想世界とは、それらに気づかず催眠状態で生きている総白痴化世界のことです
常識的、標準、平凡を普通だと感じているのであれば「催眠状態」で生きているのかもしれませんよ、と、この世の価値基準に警鐘を鳴らしているのが「マトリックス」であると理解してもらえたらと感じます。
世界でも日本は中流階級層で占められていると国民が認識している平和国家(表面上)ですので、ことさら「普通」という言葉に安心する国民です。
ですが、自分を普通と思い込んでいる方々が多ければ、「普通じゃない人」に厳しいとう側面を持ち、常に比較する常識を造って悪を造ることに加担しているご自分の姿に目を背けないで頂きたい。
非常識を常に見つけ、常識を正義と安心に結びつけ勘違いしている日本人の心理に気づいてみて下さい。あなたのご近所が、あなたの友達の中で、日本中で、いつ誰がイジメられる立場になってもおかしくない、大人も、子供達が頑張っている小社会=学校という括られた世界にいるような世の中なのです。
イジメがあり、不平不満が増大し、差別が絶えないのは私達の身近な周りが発信源です。
この洗脳にズッポリとハマっていて、家庭や恋人、友人を比較対象の目で見ている自分がいないか、まずは疑ってみて下さい。
それに気づかず、常識で裁き、悪を造り、心を歪めている正体が何かを理解することはできないでしょう。
そしてそれに気づいたとき、地球はこれまで一度も平等や平和や自由がなかったことにハッと気づくかもしれません。
何世紀を経ても、未だ「争い比較する意識的コントロール」によってぎくしゃくし続け、その火種がどこから来ているのかを見抜けずにいます。
その比較から生まれる「悩み」は一人ひとりの心から生まれ、その問題から逃れることは出来ていないという事実が現代を物語っています。
オマケの解説
今や国民的アイドルになったAKB48を知っているのは常識ですね。
出来上がったAKB48という日本の常識の裏は、彼女達を売り出した「仕掛け人」が存在し、売り出す「市場」があり、「マーケティング」をリサーチしてのことです。
そう考えれば、常識を作ったのは「人」がリサーチして流行らせたことに他ならない社会システムです。
その風潮を作ったのが「意図的な」ものなら、全ての常識が「戦略」であり、「普通」という価値基準も「一部の人間が造り上げた常識」であることにも気づきましょう。
・・・つづく。
【ZEROスピリチャル・セミナー4月スタートご案内】
3回目を迎えたZEROスピリチャルセミナーを、来月4月に開催する運びとなりました。
第1回目の日程3通りが決まりました。(ご都合の良いお日にちをお選びいただけます)
4/14(木)18:30~第2金曜日
4/17(日)13:30~第3日曜日
4/23(土)13:30~第4土曜日
第3期となりました、ZEROスピリチャルセミナーのスタートに先駆けて、3月19日(土)までお申込みに限り
受講料 100,000円 ⇒ 90,000円 の早期お申込み割引をさせて頂きます。
(※分割も致しておりますので、お気軽にお申し出ください。)
この機会に是非ご参加下さい。
「感情の取り扱い困っていませんか?」
【スピリチャル・コミュニケーション伝授】
近日スタートの御案内
あなたはコミュニケ―ションがお上手でしょうか?
昨今、コミュニケーションで悩まれる方が多くなっており、人間関係が複雑になってきています。
カウンセリングを通して御相談を頂く内容も「感情の取り扱い」についてが多く、寝ても覚めても、その感情をクリアにしなければ日常に支障があるほど、普通でいることが難しい・・・。と、お感じになられる方が増えてきました。
「心のバランスを取ってください。」とフジコラムでお伝えして参りましたが、「なんだか最近、自分がオカシイ・・・」と疑いたくなるほど、感情に飲まれて心のバランスを崩してしまい、イライラしたり、怒りっぽくなったり、塞いでみたり・・・
「鬱って認めたくないけれど、コレって鬱なのかしら?」と、自分に自信を持てず、心の疲労を重ねる方が、どんどん増えてくるので、バランスある観方、取り方を身につけることが急務だったこともZEROスピリチャルセミナーを開催するきっかけでした。
感情のコントロールが利かなくなられる方の多くは、知らず知らずに自分に課してしまっている精神性に気が付かず、ずっと習慣にしていらっしゃるので何でこんなに感情が高ぶるのか分からずにおられます。
それだけに、混沌としている時間が長ければ、感情の起伏も落ち着かないものです。
でも、そういう気持ちをお感じになられていらっしゃる方に、スピリチャル的な視点で申し上げたいことが・・・
今、あなたの中でスゴいことが起こり始めていてます。あなたはちゃんとあなたの魂のリズムと現実のリズムが一緒になろうとする体験の真っ只中にいらっしゃいます。
ひとつの事に囚われればひとつの意味しか得られませんが、多くの角度からひとつを観ればそこに起こった意味も見えてくるもの。
スピリチャルの視点であなたの感情コントロールと同時にコミュニケーションスキルをアップさせることが出来ます。
苦手なコミュニケーションも「なるほど、そういうことだったのか♪」と理解でき、いま抱えている人間関係の問題への対処方法が分かります。
また、現在カウンセラーで、もっとカウンセリングスキルを上げたいと思われている方にもクライアント様のお話しになりたい本質をシンプルにポイントを掴める、そんな内容を全4回で伝授いたします。
開催予定は平成28年5月を予定しております。
詳細は近日中にHPへアップ致します。