人のことは、ど~でもいい。
「どうせ私なんかじゃダメなんでしょ」
「仕事ができないって思ってるんでしょ」
「昔っから、ま~ったくモテねぇ~し」
「サラリーは決まってるんだから、生活なんて楽になりませんよ」
でも・・・
「ダメぢゃないよ」って言ってもらいたい
「さすが出来るね~」って言ってもらいたい
「モテそうなのにね」って言ってもらいたい
「どこもみんな同じだよ」って言ってもらいたい
グチが慰めで救われることは 経験済みですね
でも
自分なんて。というレッテルを張っているのは、誰でしょう?
誰も責めてはいないのに、責めているのは誰でしょう?
自己否定ばかりして滅入っている時に、他人目線=他人評価で慰められると、正直、ホッとしますね。
そして、その言葉であなたは元気になるでしょう。
けれど、その言葉の意味と、元気をくれた人との関係、前向きな気分さえもが、今度は、後ろ向きになるのを怖がるでしょう
ずっと、ずっと、ずっと、ポジティブを求めるジプシー人生になってしまいます。
会話はレッテル(意味や価値観)を互いに貼り合うような作業です
でも、あなたという存在=生命力に レッテルはアクセサリーの様なもので無くても構わないものです。
着けたければつけてもいい、けれど、ベットに横になるときは外すのと一緒
睡眠時にゴテゴテと着けたままでは邪魔になって、いつの間にか朝には外してたりしますね
それほど、価値や意味というアクセサリーは生命力には不自然なものなのです
「とっても似合うよ。」と言ってもらった言葉に安心しても 本心かどうかは別ですし
「大丈夫だよ~。」と肯定されても不安に思う気持ちがあれば それも別になります
人は観たいものだけを観て、思い込みで解釈をするものです
そう考えると、ひとつとして意味も価値も成さない、正しくさえないのがこの世界です。
それが基本です。
だから、人のことが気になって怖い、不安、心配になるのは
実態のない意味と価値を握りしめ続けているからに他なりません
誰もあなたが思うあなたのことなど観ていません
他人にとってみれば ど~でもいい~存在です
あなたも他人のことを本当に理解できていますか
観ていないのです 誰も何も 本当すらないのです
だったら、意味と価値にしがみつくことすら滑稽なことに思えませんか
ほんとのところ あなたという人すら居ないかも・・・^^ (このお話は、また別の機会に。
※あっ、あなたの「ど~でもいい~」という言葉への意味や価値で、私の言わんとする「ど~でもいい~」を冷たいものにしないでくださいね。
口に出して批判したとたん、それを聴いた人の意味づけや価値基準に当てはめられ、あなたがまるでゴーストのように世間を独り歩きし始めます。会話は自分の思いのたけを話しているようでも、解釈ひとつでまったく違った話になるのも経験済みだと思います。要注意ですね♪