私もいないのですか? 私という意識があるだけです。
今朝、靴下を履こうとしたら足がもつれて転倒しました。
転倒だけではなく、柱に頭をガツンとぶつけて、仕舞いに大きなコブが・・・
体がよろけて転倒し頭を強打した連鎖ショックと身体の縮小が起こりますが
同時に感情もすぐ「ガッデム!」と毒を吐きます。
何が、誰が、悪いわけでもなく、そうあっただけなのに・・・可笑しいですよね^^
洋画でも自身のイライラを吐き出す時の言葉「ガッデム!」
一体、何に、誰に、言い放っていると思いますか?
それは、あなたの「セルフ・イメージ」に対してなのです。
セルフ・イメージを一言でいうと「自分への思い込み」といったところでしょうか
スピリット・ラボ0.でお話する「自分ルール」が関わってきます^^
ここでは意識できる自分ルール=自覚しているイメージということになりますが
「7つの習慣」の著者、コヴィー博士はこんなふうに言っています。
「自覚は人間にしかできないことである。
動物にはこの能力がない。
この能力があるからこそ人間は世界の万物を支配し、
世代から世代へと有意義な進歩を遂げることができる。」
つまり、違いは「脳」にあるということです。
意識の表れイメージは「〇〇らしい」自覚を基にした行動をします
しかし、そのイメージに人は翻弄されるばかりで
どうしたら良くなるのか、もっと良くなるには、もっともっと・・・
そうして、自己価値の高低、罪意識の深浅、自己否定の有無・・・といった苦悩も同時に生まれました。
ここまでは創造現実LIFEのお話ですが
ここからは創造の母胎Matrixのお話
Matrixの世界は超絶にシンプルです。
粒子のつぶつぶであるエネルギー体から観た私達の行動を現象化すると
転んだということが起き
頭を打ったということが起き
神経に衝撃が走ることが起き
痛いということが起き
コブが出来るということが起き
それらが起きることだけが起きる、そこに善悪は皆無です。
単に出来事を分解して言葉遊びをしているように聞こえるかもしれませんが
起きる現象はすべて完璧で自然なエネルギーの表れです
イメージもエネルギーの表れですが、
イメージのコントロールは不自然なエネルギーを生みます
人は痛みさえも私のものにしたがりますが、
私も、体も、痛みという感覚も
すべて「脳」を通した識別です
ですが脳の働き自体3~5%しか覚醒しておらず、90%以上は眠ったまま
眠っている脳が覚醒したら、私達は五感以上の感覚を感じるようになり
カラーを識別する可視光線の領域が広がれば紫外線まで観えるようになるかもしれません
そうなればどうでしょう?
私達が意識してこなかった空間にエネルギーが充満していることが分かるかもしれませんし
私達の肉体と空間にアウトラインの様な境界線が無いことも自覚できるかもしれません。
そうなると、私が私であると所有してきたものの価値観はたちまち崩壊するでしょう
何に存在価値を見出すべきか?分からなくなってオロオロするかもしれません。
でも、分からないのは、何かと何かに分けることが出来ない
一体全体の世界を分ける必要がなかったことが分かる作業の始まりでもあります。
何一つあなたがコントロールできるものはないのです
アイディアがこんこんと次から次へと湧いてきて
人はそれを思考で継ぎ接ぎをしてエピソードにし記憶にしますが
100%見たままを述べる人はいません
記憶というのは実に曖昧で自分が観たところしか記憶に留めて置けないものですし
また、時が経てば記憶ほど、その人の状態でいい加減なものになるものです
いまアイディアというエネルギーが湧いてきた、その連続です
あなたが考えたそれも所有できるものではありません
いまそれが湧いた、湧いてきた、湧いてきた、、、
そのエネルギーの集積が LIFE~ウツシロの世界です。
ここには誰も存在していません
今朝のそんなエピソードの中にも「私はいるようで、私はいない」
そんなエナジーがエピソードを繋ぎ合わせLIFEを描いているだけ
「ガッデム!」の感情も湧いてきただけなのです。