ボクらはみんな醜態を曝して生きている①
最近、TVを賑わす政治家やタレントの女性達を見るにつけ、漫才!? と感じること幾度。
在り得ない。とバッサリ切り捨てしまいたくなるこの気持ちに、セラピストの血が騒ぎ出します^^;
目を伏せる、耳を塞ぎたくなる衝動が続くときは、記憶のカケラが騒いでいるから・・・そう察知して、冷静に、深く、深く自分の気持ちに気づいて行くと
(!)やっぱり、あったか・・・私にも^^;
見たくないものは見なくても、生きていけます。(※イライラやトラブルは続きます。)
しかし、私の今回の記憶のカケラのテーマは ”羞恥心”
いずれ誠実に向き合わなければならないと思いながら体内に長年放置したまま、その記憶のカケラはずっと燻っていたのでした。
話題が重なるこの時期だから、目を開けて、思い切ってきちんとセルフ・セッションしてみることにしました。
今日は「醜態」と私の記憶にまつわるお話を・・・
話題の女性達の共通点には、主張は間違っていない・間違ったことは言っていない=私は常識人で、普通です!といったゴリゴリに固まったイメージがあるように観えます。
私も若い頃はコレ、凄くありました! 常識 + ちょっとした青年の主張=それがワタシ!みたいな^^;
しかし、コレによって180°自分の世界観を変えなくてはならない出来事が人生には起こるものなのです。
羞恥心 を煽る私のエピソードのキャストは、家族と家族を取り巻く人々の話なので、詳しい話はお察し願いたいのですが。
” THE常識人” の私は、いわゆる弱者に感情移入する傾向があり、その反面、弱者のフリをして親切を貪る人、出来るのに甘える人のことを「人でナシ」と軽蔑していました。
周りはそんな私を、責任感があり、頼まれたことは最後まできっちりこなす人。として観ていたようです。
その日は外出先に連絡が入り、家族に託され正義感に燃えていた私は、とうとう全治1ヵ月の怪我をします。
「ど~してこうなるの!?」と置かれている状況が悪夢のようで、怪我は治っていきますが、その日を境に常識的価値観と感情機能が壊れてしまいました。
そこから私のルーツとスピリチャルの軌跡が本当に始まるのですが、今日は、その話ではなく「醜態について」の話。
当時を振り返ると、世間に私の価値を認めてもらうことに必死でした、20代後半から30代は、性別・年齢・仕事・結婚、、、世間に品評される多感なお年頃だったことも手伝って
モラハラ、セクハラ、パワハラと感じられる出来事も受け止めるしかない自分への怒りで満タンだったのです。
セルフヒーリングを深めていくと、自分ルールが形成される幼少期、また過去世まで辿ることが出来ます。
それこそ幼少期まで遡ると自分ルールを決めるキッカケに出くわすのですが、その中の幾つかのエピソードで出来上がった観念を挙げると・・・
第1子長女として生まれたものの長男が欲しかった父は1週間も病院に来なかった。と聞けば
女性軽視・嫡男VIP優遇観念 が出来上がります^^;
待望の長男が生まれ、子供達で入浴した時のこと幼い長男が浴室で転び、面倒を見ていなかったと母からみんなの前で酷く叩かれた時には
弱者保護責任放棄は厳しい罰を受ける観念 が出来上がります^^;
賢愚で考える以前に、人の記憶のメカニズムは 『 事実 + 湧いてきた感情 = エピソードの創造 』といった方程式を立てます。
そこは創造の世界なので真実は関係ありません。
私の創造のシナリオなのですから、誰もが漏れなく自分の性格に合ったシナリオを瞬間的に書き、その時々で喜劇にも悲劇にもする、意識世界を自作自演するプロデューサーなのです。
その後 ”あるがまま”と自己の投影についてハッとする出来事がありました。
しっかりした子供、責任感のあるお姉ちゃん、礼儀が出来ている、いつも元気な子、は虚像で「それがワタシ!」「THE 常識人」という土台を無くした私は
何にしがみついたいいのか分からず、自己信頼=自信をすっかり無くし、他人の目が怖く、恥を曝している生きている。と強く感じ、羞恥心の塊になっていました。
そうまでなっていながら、心療内科に行かなかったのも ” 恥 ” の観念があってのこと、「まだ、そこまでではない」と、治療ではなく癒しに助けを求め、あらゆるセラピーを試します。
その時、スピリチャルやサイキックのことを良く知っているスピリット達と出会いました。
いろいろなことを聞いたり、学んだり、時に旅したりと多くの時間を共に過ごすようになった、ある日、一人から”チャネラーに良くありがちな話し方”で、まるで謎解きをするかのように
「あなたと居るとイライラするのはどうしてなんだろう。何がそうさせるんだろう?」
(んっ!?直後の違和感。)ぇっ、いま軽くディスった・・・?
イライラの説明責任を私に問われているようで、普通これ悪口っていうよね。
自信がない私は、その突然の出来事に反論する言葉と勇気がすぐに出ません。
スピリチャルを学ぶスピリット達は、理解があって優しい人達だと盲信していた私でしたが、またも悪夢を見ているように、否定されることばかりに追いかけられて、人間不信で頭が真っ白に
でも、私がいけない?私の何がいけない?そんなにダメなの私!?・・・何か言いたい!言い返したい!何か!!
そうして、悔しさだけで振り絞った言葉は
「イライラしてるのは貴方ですよね、それを私のせいにされても、そのイライラはあなた自身の問題じゃないんですか!」
”もう、人の要求に応えるのは疲れた、もう、私は私自身のことを後回しに決してしない。”とハッキリ決めた瞬間でした。
でも、私の「こうとしか生きれない=自分ルール」の観念に我ながら手を焼く日は続き、その手立てが見つかるまで、その後も私の常識は崩壊し続け、ついにはこの世の常識を疑い始めます、、、
つづく