なんでFUJIKO.さんは…

見える世界と見えない世界をつなげて生きぬく自分のチカラにする

スピラボ0. FUJIKO.です。

 

FUJIKO.さんはどうしてそんなんなんですか?

と私の話を聞いていた若い女子に唐突に質問されました。

なんなん???なんですって???

スピリチャルの話をあっけらかんと話しているというか

言葉がライトだというのです。

軽い???って チャラいように見えたのかしら^^

どのように思われても、

どれもがその私であって、どれもがその私ではありません。

見える世界=現実世界でその子は私をみて

「私」というものがないような気がするらしいのです

それも事実で「私」でいることにあまり意味なんてないと思っているのです。

その質問の答えになっているのか分かりませんが

スピリチャルを茶道や華道、柔道、剣道、ある種の極める道だと思っている人も多い反面

楽しいことだけを選択して思いのまま本音で生きることを心がけたらいいんだよというスピ的カリスマもいて

スピリチャルにはいろいろなアプローチがあるワケで

切り口を変えてしまうと戸惑うことが多々あると思うのです

事実、覚醒するには呼吸法で覚醒したという人もいれば、ある時突然とか耳にしたりして、そこにあたかも奇跡があるように感じたりするわけです。

でも、そういう話を聞いたらこう思って欲しいことがあるのです。

「教科書のようなもっともらしいことでは楽しめない」と

隣の青く輝く芝生をみて、同じように輝きたいと思っても

同じようには輝かないことがほとんど

そういう経験を多かれ少なかれして痛感して腹に落とし込んだことが

今の私のスピリチャルな生き方になっています。

それは

「泥臭くても構わない、心にグイグイくるものを信じて生きたい」

と心に秘めちゃったからだと思うのです。

それからか、心から

酸素凄いな、

水凄いな、

手凄いな、

字凄いな、

音楽凄いな、

あの人凄いな、

これ凄いな、

自然凄いな、

地球凄いな、

宇宙凄いな、

環境に順応するチカラと同化するチカラの幅が、どんどん拡大していく楽しさに気づいちゃったりして

それまでは字面でしか理解できない不感症だったんだと気づいたんですね

この揺らぎこそ生きるチカラの醍醐味かな~って感動しちゃったら逆に自分の芯が出来たという感じです。

どうでもいいことはないんだなぁ。などと感じらえるようになったんですね

いろんな味わい方があるのだから

どうでもいいことがあるように感じるだけで、

そのことの中に、自分だけが気づくことがあったら

それは自分にとっては必要なデータです。

そしてそれは、そこかしこに目に見えないだけで沢山、ホントに沢山のデータがあるのです。

答えになっているかどうかわからないけれど

FUJIKO.さんはどうしてそんなんなんですか?

の答えになっているか分からないけれど

生きるのが楽しい、どんなに苦しくても辛くても

その生きづらさを生き抜くチカラをつけたくてまだ楽しみたいんだなぁ

って最近はよく思います。

生きている限り身の回りにあるものに興味がまだまだあり、チカラの点と点を線にすることが楽しいのだと思います。

出来れはそんな楽しみをみんなにも知ってもらいたいとも…♪

答えになっているかなぁ~^^;

思いは重い。

思いに縛られていると前進するチカラも落ちちゃうって覚えておいてね~♪

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です