言ノ葉 ~言葉のバイアス~
本当に自由な人は「自由」という言葉も概念も必要ないように
手あかまみれで辟易するような「愛」とか「光」という言葉もまた
その本当の日本語的なスタンスから捉え見ることができるならば
おそらくその言葉を使うのではなく
その言葉そのものにただなればいいということに気付き
そして言葉を用いずに言葉を生きることができるのだろうな。
日本語の本質はそのほうにあると思うけれど、今はまだ妄想として表しておこう。
- 小野 満磨さんの言葉をシェア -
最近、フジコラムをご覧の皆様にもお感じになられていらっしゃる方も多いと思うのですが
「言ノ葉」のメッセージのUPが多くなりました。
私自身も大きな変わり目にあることを身を持って感じており、言葉が出て来にくくなっております。
その反面、言葉が浮かばないだけで 心の震える感動を今までの数倍、味あわせて頂いております
コラムをひとたび書き出すと、話したい本質からどんどんズレていく感覚があり
ある種の言葉の不自由も感じていました。 文才があったらなぁ・・・(笑)
そんな折、小野さんの言葉をみつけ「あぁ、本当にね。」と感じ入りました。
本当にその通り。と思う 今日この頃です。
フジコラムの~言ノ葉~シリーズ大好きです♪
「言葉を用いずに言葉を生きる」
…
心に響く感じがします。
うまく表現出来ないけれど、確かに心に届きました。
YUNさん江
いつもコメントありがとうございます<(_ _)>
人と会話しているようで、その内容をジッと感じて観ると「ほぼほぼ独り言」だと感じたことはないでしょうか?
やっぱり、現実世界は自己の世界が地続きで広がっているだけだと強く感じますし、そう感じる方が数年前よりはるかに多くなった様な気がしております。
恐らくこれからは、言葉に寄せることも一つですが、心から生きる方が多くなってくると時代を感じ取っています。
YUNさんにも響いた言葉を生きる♪ 共に言葉を生きましょう♪♪♪